ゴミ奉行

今のうちに住み始めて、六年くらいになるのだが、
最初はよくわからなかったが、ゴミ出しの日に、
公園や近所の落ちているゴミを拾っているおじさん
(定年はすんだんだろうと思われる70ぐらい方)が近所に住んでいる。

ホントに初めは
「ゴミを拾ってえらいなぁ。」とだけ思ってみていたのだが、
私もゴミ出しの日に、ゴミ置き場に向かう際、目に付く落ちてるゴミくらいは拾って、
捨てるついでに袋に入れてゴミ置き場まで、持っていきます。
それくらいはなんてことなく、たいしたことないと思ってた。



さて、そのおじさんを私は勝手に「ゴミ奉行」と命名してる。
「奉行」とつくには「鍋奉行」のような取り仕切るからだ。

初めて会ったのは、ゴミ置き場。

ゴミの捨て方を語る。

「はいはい」と聞いてたのだが、なんだかムカムカした。
やんわりした話し方の中に、「どうだ?わしはえらいだろう?」って感じがあったから。
それは六年くらい前。

去年の暮れから、私が住んでいる市では、指定の袋にいれないと回収してくれなくなりました。

ダンボールはくくって出しておけば、以前は回収してくれていたので、
指定袋施行後のある日、ゴミを出しに行くと「ゴミ奉行」がやはりいた。
ゴミ奉行いわく、ダンボールも指定の袋に入れないと、回収してくれないそうだ。
出勤前で時間のない私を見て、
「私が袋に入れて出しておきますよ。あなたは(出勤前で)お急ぎでしょうから。」
「ありがとうございます。お願いします。」
と、感謝して出勤した。

それからは、ゴミの日は早くに起きて、ゴミを出してから出勤するように
できた。なので、ゴミ奉行に感謝。ありがたや。

また、違うゴミの日。
「おはようございます。」
とあいさつをして、ゴミをだす。

ゴミ置き場には、カラスがゴミをつついて散らかすので、
防御のためにネットをはっている。
そのネットをいつも、奉行は持ち上げて私や、
他の人がゴミを捨て終わるまで待っててくれる。

親切やなぁとおもっていたのだが、先日気づいた。
どのように、奉行以外の人がゴミを出すのかを、「監視」していたのだ。

指定袋の文字が書いてある方を回収の人が見えるようにしないと
置いて帰られる。というのだ。

その時は、私は二つのゴミを出した。一つは文字が見え、
もう一つは見えなかったからの様。
直そうとしたら、
「ああ、私がやっときますよ。」
「いえ、大丈夫です。」
私は、文字が見えるように置き直し、去りました。

なんだか、馬鹿にしている。奉行。
ゴミ回収の人が、袋に文字が書いていないからもって帰らないとは、
その袋を見ればわかることだし、お馬鹿さんではないよ、回収の人って。
私たちが出した、生ゴミを回収してくれるんだよ。
くさいよ。ガラスの混じったものなんて危険だし、大変な労働力なんだよ。
わかんないのか? ありがたいと思わないのか?

また別の日。
奉行の言葉を尊重し、指定袋の文字が見えるように置きました。
その時も、そばに奉行はいました。
が、
また同じ言葉を吐く。
「文字が見えるように置いてね。」

置いたのがみえないのか?
・・・結局この人は、見てないのだ。
確認してないのだ。
自分の尺度でしか判断してないのだ。こんな人に、腹をたてたのは
まことにばからしいのであった。
まだまだやなぁと、反省するのであった。

ゴミ奉行のことを少しわかるまで、何年もかかった。
ゴミの日、窓を開けて、ふと、下をみるとゴミを拾ってる。ゴミはさみ?っていうの?
それでゴミ拾いしてる。

しかも、8時台だから人は起きて活動したり、学校行ったり仕事に出かけたりする時間。

見る人がいるよね。

見られるよね。

見て欲しいんだよね。

認めて欲しいんだよね。


それって、「陰徳を積む」っていわないよね・・・。
と勝手に思うわけでして。
「陰徳を積む。」なら、私なら、明け方の3時や4時に起きて、
ゴミを拾うけどな。
(寝てますけど・・・・。)

なんだかな~と、ここまでのことを振り返る。
そういう人もいるのだ。

そこにこだわる事なかれ。なのだ。

長いなぁ

わかるまでって。


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