太陽光

数ヶ月前、毎日見ている風景が違って見えた。

それから毎日、同じものをみるけど、やはり…違うような気がする。

それがなにかというと
毎日、私たちを照らし、力を与えてくれて、温めてくれる太陽のこと。

ある日、いつものように空を眺め、太陽に目を向けると
・・・・・?違和感が。

おっかしいな~
なんやろ、この違和感。

じー―ーーーっとみられる感。
今までの優しく微笑むイメージの太陽の輝きではない。

(;一_一)うむむむむ・・・・

と、それから毎日、気にしてみているのだけれど
その違和感は変わらず。

何が違和感として感じられているのかと、考えてみるんだけど・・・。


思い当るのは
去年の秋ごろのこと、本棚の整理をしていた時だった。
一時、よく読んでいた日本書紀と古事記関連の本がたくさん出てきた。

もう一度、読みは現代語ではないので読みづらいけれど
日本書紀を読んでみることにした。

なんとなくこちらを選んだ。
日本書紀の話は、好きなので楽しみにしながら読み進めていた。

でも
でも、前ほど面白くないのだ。
なんでやろ?
どうも、読んでいると天孫族のドヤっと感が目立って
偏った視線の記録ものになっているような気がした。

実際に、他の解説書の一部に、国譲りの章の部分で
要約すると、著者が国譲りの記述は、偏った記録である・・・的なことを
書かれていたのを見て、はっとした。

そして、ホッとした。
どうも引っかかっていた部分は、このことなのだ。
私が思っていたことを、他の人も感じていたということに
ホッとして、嬉しかった。

今まで疑問に思わないでいられた時期は、日本書紀や古事記は
私にとっては、とても古代のロマンが詰まった読みものだった。

ある日、何気なく久しぶりに本を開くとそれはお伽噺ではなくなっていた。
偏りのある一方向側から見た記録だった。

・・・ショックだった。
今までなんでこんなことに気づかなかったんだろう。


それはそれは、もう気づいちゃってる人は、たっくさんいるだろうけど
私は、時の魔法をかけられていて、魔法の砂が詰まった砂時計が
パチンっとはじけた瞬間目が覚めた・・・そんな感じだ。

一気に世界が変わったわけではないけれど、天孫降臨のマジックに
かかっていた私は、色んなものが少しずつ、少しずつ見えてきて
世界が変わりつつある。

だから、毎日の空の様子も太陽の様子も違っている。
何も知らずに幸せに暮らしていた時は、ただ、疑うことをせず
力強い発言者や、いわゆる世間の常識と言われるものを
信じ切っていた。

それはそれで幸せだった。
何も感じていなかったのだから。

知ってしまった今は、それはそれで通過点だと思っている。
世間には、私が感じたような状況の相似がたくさんある。

宗教家が信者を集め、優しく寄付を募る・・・とか。
教えを守らないものは、天国へいけない・・・とか。
病気で苦しんで死にたくないから、毎月、ぽっくり寺に参りに行くとか
(患者さんが実際に言っていたのね、これ)

昔っから、○○教の教え(戒律)を守ったら天国へ行ける。
そうでないのは、天国へ行けない。

という
○○しなければ、達成できない願いっちゅう交換条件的な
幸せってなんだろうと、馬鹿はバカなりに考えていた。
考えると言うより、心で感じていたというべきことかな。

心が苦しい思いをして、何が天国に行けるのであろうか?
なんか違うんだけどな~、これ良いからさってすすめられても
疑問が心に浮かんだら、自分にとって良いものにならない可能性もある。

頭で感じるんじゃない、心で感じるんだ。
そう思う。



こんなことを小さい気づきながらも思っていたら
ある日、天照大神であるお日様が違って見えた。

あれ?気づいちゃった?
なんて言っているようにも思えるし、こちらから語りかけないと
答えが返ってこない気もするし・・・。

ちょっと、機械的な日の光でもあるような・・・・。
だいぶ痛いことを言ってますが、世界の見え方が変わってしまったから
そう見えるってことにしときましょう。

色んな気づきがあって、自分を見つめ直す時期なのかもしれませんね。



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