生きる力

今年の春に宗像神社に行った話の後日談、まとめになるんですが…。


宗像神社に行って、自分の中で確信を得たことがあって、それは振り返れば
ここ最近のことに繋がっていたことだった、と感じています。
トンデモな話です。

むかーし昔、時代は古墳時代か大和朝廷時代かってとこなイメージで
もうちょっと昔かも知れない時代のこと(らしい。)

今、イメージが沸いてきたのだが、権力者か豪族か髭を生やしたこゆい顔の
男性が私の方を向いて、難しい顔をして立っている。
この人物は、少しは心を痛めているようだ、だが、決まったことだから
仕方ないという感じを受ける。

当時の私は男性で、白い衣装を身に付けている。
真っ白でなく、生成り色。
麻っぽい感触の布。

いたしかたない気持ち、使命感。
それを強く感じる。

そして、水辺。

今の私は水が怖い。
学生の頃、授業でプールなるものがあった時、それはそれで
泳げるのだが、水辺でない場所で水辺を思い浮かべると
嫌悪感というか・・・胸の底から恐怖心が上がってくる。

そういう経緯からして、もしかして前世で水に関する何かが
あったに違いないと思っていた。

そんな思いや感覚があってか、宗像の地でrindenさんたちと話した時
前世のどこかで私は人柱として神とされるものに身を捧げたのだという
感覚が蘇ってきた。
それは今の私からしたら、なんて命を粗末にしてしまったのだろうか・・・
という強い思いがある。

それがわかってから、ふと思い出しては、思いを馳せていた。



あれから、半年経ったある日の朝
寝床でウトウトしていた私は半分覚醒なのか夢の中なのか
はっきりと区別はつかないが、前世の男性である私を見ていた。
まるで、映画か何かを見ているような客観的な視点だ。

場面は水の中
縄で縛られた自分
手に意識が行くと何か灰色っぽい小さく尖ったものを手にしている
何度か尖ったものを縄にあてがい、動かすと、縄が切れた。

括りつけられついた柱の物陰に隠れ、周りの様子を伺う自分

映像はここまでだった。


その日は友人と出かけていたのだが
何気なくこの朝に見たこの映像を友人Tさん、Sさんに話した。
私はそう考えていなかったのだが、Tさんが言うには
「自分で、縄を切るというのは呪縛から解き放たれたって意味じゃない?」

一緒にいたSさんも同意してくれた。

そっか・・・。
ようやく私は呪縛から離れることができたんだ。
安堵感で、記事を書きながらもその時と同じように涙があふれる。


手にしていた石は、肌触りの感覚や色つやからして
黒曜石に近い。 真っ黒でつややかでなくて
もっとざらざらしていた。

『黒曜石はオブシディアンともいい
意味は、身を守り、保護してくれる石です。
チャンスを作り夢を実現したり、生まれ変われるようサポートする
力をあなたの人生に与えてくれます。
ポジティブな志向を保ち、意志を強固にするパワーがあります。

スピリチュアル・キーワードは「認識」』

石の意味をひも解くとそう書かれていた。

しがらみや古い思考パターンを捨てる時が来た時にめぐり合うらしい。


この半年の出来事を振り返って、現在の私と過去の男性であった私の世界が
同じような進み方をし、呪縛を自ら解き放ち、未来へと向かって歩き始めた。

そう感じている。

過去世の自分のことを思い浮かべると、とても辛い。
胸が締め付けられる思いがする。

今まで生きてきた仲間、家族と死という別れ方をしなければならない。
しかも、人柱という使命感を持って。
逃れられない。
逃れれば、他の人に災いがかかってしまう。

死にたくない。

そう思ったに違いないと、今の私は思う。


自ら縄を切った自分を見た時、同時に彼はこう思っていた。
これでよかったのか?
そして、人柱がいなくなったことを知った神は怒りはしないだろうか?
生きたいと思うことは、小さな一人の人間のエゴでないだろうか?
ひたすらに自分を責めていた。

もう十分に自分を責めたのだから、自分のために生きていいと
私は思う。

だから、彼に「これでいいんだよ。一生懸命にお役を果たしたから良いのだよ」
そう伝えている。

ロッドで確認したところ、彼は納得したそうだ。
新しい地で、苦労はするが生きていることを楽しんでくれると良いなと思う。



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