高野山参り その弐

*高野山参り その弐*



さて、一気に大阪駅から環状線に乗り換えた。
新今宮で南海電鉄に乗り替えるために切符売り場でうろうろ。

果たして高野山ケーブルまで、この電車は連絡が良いのだろうか?と
不安になり駅員さんに聞こうとそちらに向かい空いている窓口に行く。

窓口のおじさんはお坊さんのような半眼で淡々と話す。
要するに声が小さめなので真剣に聞かないと聞きとれない。

尋ねると今、高野山内のフリーパス付でお得チケットがあるとのこと。
(帰ってから駅の案内を見直すとお得チケットは期間限定販売で
約千円もお得だった!ラッキー。)
じゃあ、それで。
と特急列車のチケットを買い、列車の時間までに30分ほどあったので
いすに座ってボーっと待つ。

シトシトと雨が降り出す。
行き交う人を眺めながら、「MASATO IN TOKYO」を聞いていた。
幸いにも雨に合ってないな~、雨ってお清めの意味があるんだったかな。

待っていた特急列車が来たので乗り込む。ゆったりとした列車で快適である。

○  ○  ○

さて、終着駅近くになると高野山についてアナウンスが入る。
空海がいつ頃高野山を開いたか、この山の特徴など教科書で習った
内容を語る。かなり忘れていた。

終着駅に着き、次は高野山ケーブルに乗り換える。
今いる電車とケーブル駅をつなぐ通路に地元の小学生が風鈴の短冊部分に
お願い事をかいてあったようだ。

その昔、中国では風鈴は魔よけの意味でもあったらしいと後日知る。
こう思うと高野山に入る前に世俗的な魔を払って入山する段取りだったのかと思う。
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ケーブルを降りるとひんやりとした山の空気。
雨は止んでいた。

バスを探すと「もうじき発車しまーす。」と声がかかる。
目的地である奥の院行きのバスが今にも出て行きそうだった。

慌てて乗り込む。連絡が良いことは明らかだった。
マサトCDを聞いているからラッキー続きなのかもしれない。



バスに乗ってしばらくすると右胸がチクチクと痛む。
何だろうと周りを見渡すと右手に高さ3メートルほどある赤いよだれかけを
かけたお地蔵さんがおられた。

今日はよろしくお願いします。お邪魔します。
と挨拶をすると胸の痛みも止む。

挨拶を忘れていたようだ。
失礼をした。


走り出すバスの車窓から町を眺める。

「みろく」の文字が目に留まる。
「みろく石」を販売しているらしい。

みろく石ってなんだろ?と思っていると、どうやら奥の院にある石で
その石を持ち上げて重く感じる人は悪人で、軽く感じる人は善人であるという
目安になる石だそうだ。

それ一つで悪人、善人を決めてしまうものでもないと思うが
観光客には楽しいらしい。

重いと感じる人はこれまでを振り返る一つの指針になるという
点では良いツールかもしれない。

そのみろく石にちなんでのおまんじゅうを名物としているようだ。


○  ○  ○

さて、次のバス停の奥の院前で降りようと思っていたのだが
一つ手前の一つ橋口バス停で急に「ここでおりなければならない」
と思い、慌てて降りた。

降りたところは見覚えのある場所だった。
以前、ここには来たことがある。
あの時の自分はどうだったかを思い出しながら一の橋に近づく。
一の橋口

橋の手前に手水舎があったので、冷たい水で手を清める。
そのすぐ近くの杉の木に若葉に目を奪われる。
とても生命力あふれる柔らかで美しい若葉。

ずっと昔からここにきてはこの木に挨拶をしているような気がする。

橋のたもとで一礼をする。
なんとなくだけど、失礼しますの気持ちからだ。

急に「久しぶり 久しぶり」と言葉が自然に出た。
ここへ来た喜びなのだろうか。
涙がこみ上げてくる。うれし涙のような気がする。

しばらく歩くと二手に道が分かれた。私は上側の道を行く。

たぶんこの道は以前も来たことのある道なのだろう。
今思い返すと以前来た時はこの参道も途中で引き返し帰ったような記憶がある。

そのおぼろげな記憶の場所からさらに進むと長い階段が見える。
奥の院階段

ここは来たことがない。


さらにずんずんと進む。
それにしても今日はのどが渇く。持ってきたBSWで喉をうるおす。
この奥の院参道は約2キロあるそうで、きっと筋肉痛になるかもしれないと
覚悟してきたのだ。
代謝をよくするBSWを飲んで歩き続ける。
競歩っ?てくらいのスピードで進む。
筋肉痛が、あんまりでないようだと良いなと思い進んでいると
ちら、ちらと足が止まる場所が出てくる。

何か縁がある場所だろうけど、今はわからない。

大きな杉の木の場所に名将の墓が立ち並ぶ。
どれもこれも立派だが苔むした墓石だ。




進んでいくとツアー客に出会う。
ガイドさんは女性でこの場にそぐわないほど大声で観光案内をしている。

きっとお墓に寄る故人は耳を押さえているのかもしれない。

色んな人種とすれ違い、追い越す。中国系、アラブ系、ヨーロッパ系。

ガイドさん・・・で思ったのがこの道は、今、生きている人生や
そして、many worldで関わり合った人の魂たちとすれ違って、関わっているんだよと
教えてくれていたのかもしれない。
”袖振り合うも多生の縁”というフレーズが浮かぶ。


○  ○  ○

開けた場所に出た。
寺社や休憩所、水かけ観音さんが並ぶ場所だ。

休憩所があるな、と思ったが先に進むことにする。

奥の院手前はこんな感じ。
この後ろにお手洗いがある。
奥の院手前2
この右手に水かけ観音さんがならび、その横には玉川がある。
奥の院手前


奥の院御廟へとつながる橋があり、それは御廟橋という。
橋は36枚と、橋全体を一つの板として見、一枚の板はそれぞれ仏様を表す。
そして、37つの板、37尊の仏様がお迎えをしてくれると言われる。

この橋も罪深きものは渡れないという言い伝えがあるそうだ。

一礼をして橋を渡る。
まっすぐ進むと両脇にお線香を立てるところがある。
ひと束500円を納めるらしい。高野山価格?

本堂に進む前に「塗香(ずこう)」というものがある。
これを一つまみいただき、両手でこすりあわせて香りを嗅ぐ。

白檀の香りや仁丹の香りがする。
少しカビ臭いような香りにも感じる。

塗香には汚れ、臭いを清める意味があるらしい。
身を清めてお大師様に会いに行くということね。

本堂は横に広く、天井はそう高く感じなかった。
かぐわしい香りが漂う。

私はここにはあまり用事がないようで、次の順路に進む。
左手を進むと、小さな廟がある。

左手にその小さな廟、そこから右手に進むとたくさんお線香やろうそくを
立てる場所がある。

右手の方は人が多くいたので、左手の場所で少し休む。
綺麗な場所だった。
苔むした岩や、美しい緑が広がり、凛と立ち並ぶ木々が整然としている。
ひんやりとした清らかな風が吹き、ここまで歩いてきた人を
労っているかのような場所だった。

来て良かったなあ。



○  ○  ○

しばらくして、人がはけてきたので右手に進み、そのまま順路を曲がる。
おや?地下に続く道があるようだ。

階段を下るとお大師様の人形が壁一面にずらりと並ぶ。
ぐるりと回るとお大師様が祀られているらしい場所に来た。

手前に台があり、そこには直径10cmほどの珠で作られた巨大なお念珠があり
その後ろには、これまた長さ60cmほどの真鍮色の巨大な三鈷杵があった。
さわさわとお念珠と三鈷杵を触らせていただき、その場を後にした。
なんだか急いでここを出ないといけないような気がしたからだ。

地上に出て、もと来た道を戻り御廟橋の手前でお堂の方を向き
一礼し、橋を渡り中ほどに来た頃、何かの気配を感じる。

そのまま橋を渡り、一礼をしてその場を去る。
ふと、左手に休憩所があったことを思い出し、そのまま行き過ぎようとしたが
なぜだか足がそちらに向いた。




高野山参り その参 に続く


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